競馬あれこれ 第11号

ウオッカの軌跡  ダービーの栄光の後に待ち受けていた「厳しい現実」

64年ぶりに牝馬として日本ダービーを制するなど、競馬界に大きなインパクトを残した名牝ウオッカ。前記の07年ダービーをはじめ、競馬史に残る死闘と言われた08年天皇賞・秋、主戦・武豊の突然の乗り替わりがあった09年ジャパンカップなど、歴史的牝馬の衝撃的な生涯を追う。

「確信」に変わったチューリップ賞
 谷水雄三にとって、自家生産馬であるタニノギムレットを父に持つウオッカがダービーを制したことは、オーナーブリーダー冥利に尽きた。

「もちろん、ダービーは特別な喜びがあったけど、ウオッカに限っては、オーナーがそれ以上に興奮したレースも実はあったんだよね」

 谷水と親交の深い元KBS京都のアナウンサーで、谷水のレーシングマネジャー的役割も務めた久保房郎がそう言った。ダービー以上のレース? これについてはまた後日に詳述することにする。

 2006年12月3日、阪神JFを勝ったウオッカは、その驚異的な1分33秒1という勝ち時計から、ダービー挑戦へと夢を膨らませた。時計の計算だけではなく、角居も谷水も、「今年の牝馬は強い」という認識で、その中でもウオッカが抜けて強いという自信が、2人にはあった。

 それが確信へと変わったのは、年が変わって07年3月3日、桜花賞トライアルのチューリップ賞。牡馬を相手に別路線を歩んできたダイワスカーレットとの初対決だった。逃げてレースを引っ張るダイワスカーレットに、早々と直線入り口で持ったままで並びかけたウオッカダイワスカーレットの鞍上・安藤勝己が馬体を接し、懸命に右ムチを振るうが、ウオッカ四位洋文は追うところなく半馬身前へ躍り出た。さすがにダイワスカーレットも、それ以上は突き放されずに踏ん張ったが、内にモタれながら走っていたウオッカとは、明らかに力差を感じるものだった。

桜花賞を勝ったら、ダービーに行くぞ!」となるのも無理はない。角居も桜花賞に関しては「間違いなく一番強い。これなら勝てる」と信じて疑わなかった。そして、実際は「勝ってから」と言いつつも、負ける気などしないから、桜花賞までの調教も、ダービー仕様に変えていた。

ダイワスカーレットに敗れた桜花賞は「必然」
“対ダイワスカーレット”という考えなどさらさらなかったのだ。

 しかし、これを慢心として片付けることはできない。その後にダービーを勝ってしまうのだ。結果論だが、ダービーを勝つための過程の中で、ダイワスカーレットに敗れた桜花賞は、必然であったのかもしれない。とにもかくにも、ウオッカ桜花賞ではチューリップ賞の時とは別馬のように、追えども追えどもダイワスカーレットには追いつけずに終わった。それでも谷水と角居の意思は固く、ダービー挑戦に踏み切った。それが、歴史に残るダービーをつくったのだ。

 ところが、ダービーを勝った後にウオッカを待ち受けていたのは、宝塚記念8着惨敗、蹄球炎による凱旋門賞回避という、厳しい現実だった。秋は国内戦専念を余儀なくされた。といって、そこにはダイワスカーレットがいる。いずれにしても厳しい戦いに変わりはなかった。

ウオッカ 2004年4月4日、北海道静内町(現・新ひだか町)カントリー牧場で生産。栗東角居勝彦厩舎からデビューし、2歳時の阪神JFを皮切りにGⅠを7勝。特に牝馬として64年ぶりに勝利した07年日本ダービーは競馬史に残るレースで、いまだに「史上最強牝馬」の呼び声も高い。19年4月1日、蹄葉炎のため、安楽死の措置が取られた。通算成績=26戦10勝(うちGⅠ7勝含む重賞8勝、海外4戦0勝)。主な勝ち鞍は07年日本ダービー、08年天皇賞・秋、09年ジャパンカップ。08&09年JRA年度代表馬

 

競馬好きな方へ

 

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